『“人”をどう描くか』というテーマを大切に――。「竜王の子の約束」を手掛けた樋口雅一さん
2018年よりはじまった「海ノ民話のまちプロジェクト」。これは日本財団が推進する海と日本プロジェクトの一環として、日本中に残された民話を発掘し、アニメーションをベースとした親しみやすい表現で「海との関わり」や「地域の誇り」を子供たちへ伝え語り継ぐことを目的としたものです。プロジェクト発足5年目となる2022年も、日本各地から選ばれた海ノ民話15作品を映像化。そのうちのひとつとして、千葉県南房総市に伝わる民話「竜王の子の約束」が完成しました。
このお話の舞台となるのは、古来より豊かな漁場として知られる、千葉県南房総市にある富浦の海。昔からとても豊かな海だったため、強い風によって波が高くなる時化(しけ)さえなければ、漁師たちはいつでも好きなだけ魚を捕ることができました。天候に恵まれ、海がおだやかになると、漁師たちは大喜びで漁に出ますが、なぜかその日は不漁で、何度も何度も海の中に網を入れるも、雑魚一匹掛かりません。しかし、今日の最後と決めた網には、大きな手応えがあって、みんなで力を合わせて船の上に引き上げると、そこには不気味な生き物がいました。「見たことがないぞ、こんな魚」「こんなやつがいたら魚も逃げてしまう」と戸惑いの声が聞こえるなかで、一人の漁師が櫂を振り上げると、驚いたことにその怪魚が人間の言葉を話し出しました。
「待ってください、皆さん! 私は海の底に住む竜王の子です。どうか逃がしてください。お父様の言いつけを守らずに遊んでいたら、この網にかかってしまいました。逃がしてくれたらお礼をします。助けてください」と礼儀正しくお願いする竜王の子に対し、漁師たちは「竜王様はわしらを海から守ってくれる神様だ。その子どもとあっちゃぁ、殺しちゃなんねえ」といって、怪魚を海へと帰しました。そのできごとをきっかけに、富浦では、時化が近づくと波が船に当たるようになったそうです。それは、竜王の子が海に帰る際に、自分を助けてくれた漁師たちに「時化が近づいたら海の底から太鼓を叩いてお知らせましょう」という約束を果たしてくれているからなのです。
このお話のアニメ化で、文芸・キャラクターデザイン・絵コンテ・演出・作画を手掛けたのが、2020年度の和歌山県串本町の海ノ民話「お屋敷になったクジラ」も担当した樋口雅一さんです。親しみやすく味わい深いキャラクターデザインと、緻密な計算に基づくダイナミックかつリズミカルな演出が持ち味の樋口さんは、昭和時代に大ヒットしたTVアニメ・シリーズ「まんが日本昔ばなし」にスタッフとして参加するなど、民話や昔ばなしアニメのエキスパートでもあります。それゆえに、「竜王の子の約束」でも、『“人”をどう描くか』というテーマを大切にしたと言います。
「アニメのベースになる海ノ民話をどう描くかは、僕らアニメーターや演出家に委ねられるんですよね。そうした時に、4分30秒という尺の短さもあって、どうしても物語の説明で終わりがちなんですよ。その中に、当時の人々の暮らしや彼らの気持ちなど『“人”をどう描くか』というのが根底にないと、おもしろくないんです。なので『きっとこんな人がいた』『こんな風に行動したであろう』というベースに置きながらキャラクターを作って、ストーリーに当てはめていくという手法で作品を構成していきました」
30分枠のTVアニメや、劇場版アニメでは、いろいろなスタッフがそれぞれの役割を担う分業制で制作されますが、「海ノ民話アニメーション」では、約4分30秒という短さゆえに、樋口さんのように多くの役割を担い、作家性の強い作品を生み出すことが可能に。
「今のアニメ業界で、ここまで個人の作家性におまかせ、なんてそうそうないですよ。そういう意味では、『海ノ民話アニメーション』に携わっているアニメーターや演出家は、みんな昔から自分の個性を大事にして作品を作り続けている稀有な人たちが集まっているので、他ではなかなか観ることのできないアニメを作ることができるんです」
「竜王の子の約束」では、漁師たちが力を合わせて何かに取り組む姿を描きたかったという樋口さん。
「主役は漁師たちなので、竜王の子がどんなデザインなのかというのは、物語にはあんまり関係ないんですよ。網の中で何かがうごめいていればそれでいいんです。むしろ喋ったことによる、漁師たちの驚きようで、竜王の子が、いかに特別な存在なのかが充分伝わるなという思いがありました」
キャラクターたちにどのような色をつけるか、という色彩設計にもこだわったと言います。
「色彩設計の大槻ひろ子さんが指定してくれた、漁師たちの肌の色を見ながら『もうちょっと赤銅色に日焼けしてるほうがいいよ』とか『これはちょっと南国すぎるよ』『舞台が千葉県南房総市なので、あんまり日焼けしてたくましいキャラにしたくない』といったやり取りして、調整していきました。また、竜王の子は、暗めの赤茶という色になっていますが、明るくしてしまうと『網に覆われて得体が知れない』という存在感が伝わりにくいんですよね。暗い色にすることで、正体がわからないといったキャラクター性を強調しています」
最後に、樋口さんから作品をご覧になる皆さんへ「『人物をどう描くか』をメインに作品を作っているので、ぜひ、自分たちのおじいちゃん、おばあちゃん、そしてもっと昔に漁師町にいた先祖たちが、こういった暮らしをしていたんだなっていうのが、観て下さる方に伝わってくれば一番いいのかなと思いますね。そして『漁をする際には、天候がとても大事』『時化とはどういうものなのか』ということも、学んでくれるとうれしいですね」といったメッセージを送ってくれた樋口さん。このコラムを読んだ後に、「竜王の子の約束」を観ると、また違う視点で作品を楽しめるはずです。
プロフィール
樋口雅一
1946年 山梨県都留市生まれ。
1965年、アニメーターとしてタツノコプロダクション入社。翌年虫プロダクションに移る。’69年退社しフリーに。’72年『ムーミン』でディレクターとなり、初演出を担当。’74年グループ・タックで『まんが日本昔ばなし』のスタッフに加わった後、’77年『まんが偉人物語』でシリーズ初監督。以後、数多くのTVアニメ番組で監督、演出、作画を務める。