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2023年01月12日

「どこへでも行ける」、世界とのつながりと広がりを今の世にも伝える海と漁師の物語

有識者コラム

2022年まで日本民俗学会会長であり、東北大学災害科学国際研究所のシニア研究員である川島秀一氏は2018年に大学を定年退職し、現在は福島県新地町で漁業に従事している。災害文化・漁村民俗学・口承文芸等を研究してきた同氏に、漁師さんたちの中に息づく口承文化を主としたお話を伺った。

漁師の間で受け継がれる語り口 簡潔でスピード感のある語り

――沖合の海に出て漁をされている方、また季節ごとに海を巡っていく方もいらっしゃいますが、そういう漁師の間で民話はどのように受け継がれてきたのでしょうか。

漁師から話を伺うようになって40年ほど経つのですが、明治生まれの人たちはしっかりと伝えていましたね。ただそれは私が聞いたから話してくれたので、日常的に話をしていたかというと、疑問は残ります。
民話と言っても昔話や伝説など広い括りがあるのですが、特に漁村ならではの特徴はなかったと思います。私は気仙沼で生まれ育って調査もしていたので、山に関する昔話も聞いているんですが、漁村だから海の民話を語るというわけではなかったような気がします。特徴として漁師の語り口は、単発で短く、簡潔なものが多い。長々とストーリーを展開する楽しさはなかったような気がします。

――叙情的な物語ではなく、ことわざや教訓に収斂されていくパターンが多いのですね。

漁師の場合はそういうところもあるけれど、仕事柄かもしれません。展開が早いんです。語り自体を楽しむというより、スピード感のある語りが多かったと思います。伝承されている話は同じ話型なんです。私が調査し始めた頃にはまだ伝わっていました。ただ、今は難しいとは思いますよ。

――現在では衰退気味ですか。

そうですね。衰退と言っていいのかな。もちろん持続しているところもありますよ。例えば海難事故の時、漁師が海に出ると水死体を見つけることもあったんですね。それを放っておいたらどうなるか、どうなったか? そんな昔話が語られる時はあります。

――日本の民話類型という視点ではどうでしょう?

微妙ですね。あまり型になってないようなものもあります。あえて言えば、世間話に近いかもしれない。伝説とかね。

――ランドマークであったり、祭礼や祭事が続いていると継承しやすいと思います。我々も宮城で「海ノ民話のまちプロジェクト」としてアニメを1本作らせていただきました。今もある七ヶ浜町の大根明神祭(あわび祭)という祭礼の起源をアニメ化したんです。

あわび祭の祭礼は今年もありましたね。何回か私も船に乗っているんです。確かに祭礼などがあると、残りやすいですね。

口承化されるのは昔話だけではない 人と人の関係性の中で伝わる物語

――日本の沿岸地域で分布している民話の類型が似ているのは、国内の海上貿易が盛んになる前から漁師が各地の港へ行き、それぞれの場所へ伝えていったということでしょうか。

そうだと思います。例えば『猫と南瓜』の話は全国津々浦々にあります。私が現在研究していることに決定的な影響を与えた明治41年生まれの漁師が、気仙沼にいました。彼が語ってくれた昔話は、その方のお父さんからの伝承がほとんどなんです。そのお父さんは漁業関係の仕事で、家にいるよりも外に出て歩いていたそうです。それで蓄えてきた話を家に伝えたところがあります。彼からその話を聞いて、まだそういうスタイルが生きているんだなと思いました。
私はもう一つ、民話だけでなく、「本読みの民俗学」というのを研究しています。それは「講談本などを口承化して話して伝えていく」というものに目を付けたものです。この視点からお話ししますと、その漁師のお父さんは、例えば浄瑠璃などを聞いているんですね。そして聞いてきた、例えば奥浄瑠璃の『田村三代記』を自分で口承していったそうです。そんなふうに口から耳へではなく、芸能を通して得た話を伝えていくというものも、意外と多かった印象があります。だから講談とか祭文語りとか浪花節みたいなものも含まれます。宮本武蔵の話もしていましたね。

――昔のエンタメの伝播の系譜って、デラックスなステージを見て、感想を話すのもまどろっこしくて、「こんな面白い話があってさ」みたいな感じで土着化していったのかもしれませんね。それが地域の民話として定着していくといった流れですか。

だから、それを民話と呼んでいいのか、と。難しいところですが、少なくとも同じ感覚で聞いていたと思うし、同じ世界の中にあったことは確かです。実は昔話研究は話型のあるものだけ拾い集めることに熱心で、他の口承の世界に対しては無頓着だったところがありました。そこをちょっとまとめてみたのが、私が2020年に出した『「本読み」の民俗誌』(勉誠出版)です。

――民話を聞くのと同じ喜びだったんでしょうね。

例えば昔のカツオ船って、漁場までの行き帰りに時間がかかるんです。そんな時に船の後ろのほうに乗組員が車座になり、長老が本を読んでくれる。そうやって楽しんだ人が、自分でその物語を書き始めるんです。それがまた別の人に伝わっていくという世界も生きていたんですね。

――今の漁業は魚群探知機があり、効率的な産業ですが、昔は魚の群れを追いかけて外洋に何日もいて、特に何をするでもない時間があった。そんな時のエンタメがあり、それが伝わっていったということですね。

例えばカツオの一本釣りだったら、漁場に留まっていたほうがいいんですね。そんな時の待ち時間に、船幽霊や罰が当たった話などを長老がしてくれるというのが多かったようです。

――昔話というと『因幡の白兎』とか、記紀(きき)のエピソードを抜き出した話が多かったイメージです。

それも文字から伝承してるようなものですよね。

――漁師さんの間では、教訓的な話や縁起の悪い話は出てきにくかったのかもしれませんね。

そうですね。どちらかというと講談とかが好きなんです。それからチャンバラね。もちろんその一方で、身近な話題として「こういうことは気を付けろ」という話もありますよ。印象としては世間話が多いと感じます。
だから決して漁村だから口承の世界が豊かではないということはないと思います。雪国で、することがないから語りが生まれたみたいな話もありますが、決してそれだけではないでしょうね。

――山は定住性が高く、その場所に物語がアーカイブされるのに対して、海は回遊性が高く、魚の群れを追って家族ごと移動することもあるので、物語がアーカイブされにくい。そんな印象があるのですが、どのように思われますか。

現代の発想であればそうかもしれませんね。ただ伝わっているという意味では、変わらないと思います。フィールドワークをしていて実際に体験したことなんですが、あるおじいさんが語る昔話が、我々に話すのと、お孫さんに話すのでは全く違うんですよ、語り方が。ものすごい迫力で、その違いに大きなショックを受けました。これが本物なのか、と。だからこそ、ずっと伝わってきたんだと思いますよ。
だから、結局は語る人と聞く人の関係性というのもあるのかもしれません。語ること自体が楽しく、そして聞く方も話の内容だけでなく、その人のことが好きっていう。血の繋がりとかは関係なく、そういうことが大事なんだと思います。好きな人が語ったことなら、覚えますよね。

――地域性は関係しますか?

港町の特有性はあるかもしれません。釜石とか大船渡とか気仙沼などで『虎舞』という芸能が江戸時代にできました。近松門左衛門の国性爺合戦を演じるんですね。それは間違いなく江戸からの廻船が持ち込んだものだと思います。昔の港町は外に開けるところもあり、決して陸から江戸の文化が入ってくるわけではないんです。そういう意味では漁村も同じような要素を持っていると思います。

海は再生の象徴であるとともに 誰にとっても平等な場所

――海の向こうは異界であるといった考えを沿岸部に住む人々は持っていたようですが、漁師も同じような意識があったのでしょうか。

もちろんあったでしょうね。ただそれほど非現実的な感じではないかな。例えば寄物(浜辺に流れ着いてきた物)ですよ。どこかの国から流れてきたんだなって感じたでしょうね。
もう一つは亡くなった人はどこに行くか、ということ。だから盆舟があり、海に流すわけでね。やはりあちらには自分たちが住む世界とは違う、あの世があるという感覚は持っていたんじゃないですかね。

――流れ着くものとは逆に、海に悪いものは流し、海に清めてもらうという感覚は漁師さんにもあるのでしょうか。

私と同世代の漁師に、子どもが生まれるたびに、素っ裸で海に入り、禊をした人がいます。夏でも冬でもね。これはまさに海に清めてもらうという感覚でしょうね。もう一つあるのは、海は再生してくれる場所だという感覚。私が新地に住んで驚いたことの一つが魚の食べ方なんです。骨とか食べられない部位を海に投げるんですよ。どうしてかというと、また魚がこれを食べて大きくなるかもしれないからって(笑)。都市生活者だったらごみですよね? でも、彼らにとって魚の食べかすは、ごみとは違うモノなんです。海で捕って、海に帰すっていうことなんでしょうね。

――魚の骨を砕いて焼いて畑に撒くみたいな発想とは違うんですね。

そうですね。ただ、海に投げるって言葉は、昔の人は使わなかったかもしれません。海に納めるとか、西日本の方では「あます」と言います。だから投げるって感覚はないんでしょう。そういうところは特有だと思います。

――現代の漁師は、常に情報も機材もアップデートされていて昔とは違うと思っていましたが、いまだにそういう感覚が残っているんですね。

やはり不漁、大漁の差が激しいですから。サラリーマンと違って、同じ漁場にいても一方の船は大漁で、片方は釣れないという時があるんです。すると、これは人間以外の何かの力で差があるんだって思ってしまうんですよ。それがたぶん、そういう感覚を残していく原因じゃないですかね。
ただ、そういう感覚はあるものの、実は海は平等なんです。私はシラウオ漁の手伝いもしていて、旬は2月から4月の3カ月。漁場も狭いんです。それなのに大漁の船と不漁の船が日ごとに違うんです。ところがね、漁期が終わると全部うまく回っているの(笑)。海はそういう平等性を持っているという感覚はあるんですね。だから漁師は、最新の技術も情報も導入するけれど、それだけでは決着がつかないものがあることを、一番わかっているんじゃないですかね。

――見えないもの、分からないものが作用しているのではないかという漁師さんたちの感覚は、どれほど技術が進化しようと残っている。そして、そこに対してどうすればいいのかということで、たぶん何かしらの話がお話が生まれてくると。

私が漁の調査をするようになった最初の頃、気仙沼でシラスだったかな。他の漁船をだまして、その漁場から去るふりをして、また戻ってきて漁をしたという話があるんです。それを万歳っていう意味で「まっかっちょ」というのかな、そういう言葉でその出来事を伝えているんですよ。それは漁場名にもなって自分たちの漁場を守るということにつながっているんです。

――ここへ行くと海に引きずり込まれるから絶対に行くな、という昔話が残っていることもありますか。

あります。それは漁師の習性を見ると分かるんです。例えば自分が大漁だった場合、そのことはあまり話したがらない。競りになればバレちゃうんだけど、それまでは話さない。とはいえ、まったく話さないと今度は自分にも情報が入ってこないので、ある程度は話す。そんな駆け引きを漁師たちは今でもしているくらいですからね。

――最後に先生の海への思いを聞かせてください。

私にとっては、とにかく気仙沼で生まれ育ったことが一番大きいです。なぜかというと、気仙沼が、ある程度全国規模の漁港だったということ。子どもの頃から全国各地の船が並んでいるところを目にするわけですよ。それを見て育つと「どこに行ってもいいんだ」と思えるようになる。そんな風に世界とのつながりと広がりを感じさせてくれたのが、気仙沼の海であり、これまで出会ってきた漁師の方々であり、彼らから聞いてきた数々の物語なんですよ。

●まとめ
川島先生のお話は現場での実際を踏まえたとても興味深いお話だった。また、漁師さんたちは意外とお酒を飲む人は少ない、けれど声が大きい、カラオケ好きなど、楽しいお話も他に伺えた。民俗学者を経て、現在は実際に漁業の現場で働かれている先生のお話は今後の漁業、海と日本人の関わり方の参考になればと思う。

●プロフィール

川島 秀一(かわしま しゅういち)

1952年生まれ、宮城県気仙沼市出身。東北大学災害科学国際研究所教授、神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員、日本民族学会会長などを歴任。2018年に退官した後は福島県で漁業に従事する。

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