日本財団海と日本海のまちプロジェクト

今こそ伝えたい海の民話アニメーション

インタビュー

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民話を“翻訳”しながら歴史的文脈を紡ぎ、
町づくりに活かしていく

大手前大学 建築&芸術学部講師
下田 元毅
しもだ もとき
1980年生まれ、広島県出身。建築・都市計画・まちづくりの観点から、漁村の生活と生業の一体となった空間に関する調査・研究活動を行っている。近年は、南海トラフ地震の被災が想定される漁村を主なフィールドとしている。

建築の観点から、地域に根付く文化の継承を意識した町づくりの研究、さらには災害対策として民家のリノベーションや事前復興計画の提唱を行っている大手前大学 建築&芸術学部講師の下田元毅先生。週末のたびに全国の漁村でフィールドワークを実施、その数は今や300ヶ所以上になるという。そんな下田先生に、「漁村の今」と、そこに息づく文化や民話について伺った。

地域の人々との対話を通した町づくりが災害に備えた事前復興へとつながる

研究テーマを教えていただけますか。

ひとつは、海沿いならではの景観や町並みが、漁村ごとに全く異なる表情を持つことについて、文化的側面から研究しています。また、3.11(東日本大震災)の際に、もともと好きだった漁村の町並みが一瞬で変わってしまったことに、非常にショックを受けました。それで、今後に津波被災が想定される漁村で事前の復興まちづくりという取り組みをしています。東日本大震災からの復興の過程で課題も出てきましたから、東北地方の復興計画の学びも含めて行っています。

事前の復興まちづくりとは、具体的にはどのようなことでしょうか。

三重県尾鷲市に九鬼という漁村があります。ここは南海トラフ地震や東南海地震が発生し津波に襲われた場合、町の約3分の2が津波にのまれてしまうという状況なんです。それを踏まえて、どこに避難したらいいかとか、町にとって残さなければならない大切なものは何かということを、地域の人と話しながら町づくりをしています。そういった取り組みが魅力的な町並みを残すことにつながっていくと思うんです。

災害への準備ということになるのでしょうか。

災害への準備と災害後の町づくりを事前に計画しておくこと、つまりは、事前復興計画ですね。たとえば先ほどの九鬼は、上水道が敷設される前は、井戸だったり、石の大きな水槽に竹樋をかけて、山の水を溜めながら生活用水を確保していました。上水道が敷設されてからはもちろん使われていないのですが、地震による断水が想定されるので、かつての取水装置を再起動させて、有事の際の水を確保しようという、防災井戸の取り組みなども行っています。

漁村を調査研究するようになったきっかけは?

私の原風景が、海辺にあるんです。私自身は広島出身なんですが、父方が瀬戸内海の大崎下島、母方は伊豆半島の出身で、夏休みや正月に両親の田舎に帰ると、全く異なる地域なのに基本的な風景は同じなんですよ。ミカン畑と漁村という風景。そんな原風景を、大学で建築を学んだ上で眺めてみると、また違って見えてくるんです。著名な建築家ではなく、誰が作ったかも分からない民家や路地や石積みなんだけど、造形的に魅力があるな、とか。それは海沿いの町ならではの文化が形になったものだと思うんです。そんな発見を評価していく取り組みをしたいと思ったことが、きっかけです。そして、3.11が事前復興計画の必要性を考える、もうひとつのアクションの契機となっています。

地域ごとの研究をされていると、その土地ならではの言い伝えや伝説などを聞くこともあるのでしょうか。

民話から逸話、噂話まで、たくさん聞かせてもらっています。特に漁村で耳にする民話というと、ストーリー的なものより、訓話的なことわざや警句的なものが多いですね。また、そんな民話のベースとなった場所や風景に出会うことが多いのも漁村の特徴かもしれません。

場所の逸話は民俗学的な民話の分類では「伝説」という扱いになるのですが、どのような場所なのでしょうか。

九鬼にはニラクラという年に1回しか使わない場所が残されています。大漁祈願の年に1度の祭のため、ボイド(意識的につくられた構造物がない空間)があり、正月に相撲を取るんです。もちろん女人禁制。大みそかに焚き火をたき、次の日に塩水を入れて墨の泥を作り、相撲をとって最後に海に浸かって清めると。ニラクラという特殊な固有名詞が気になると思いますが、ニラというのはウニのことです。昔ウニが大量発生して、漁に支障が出たので、ここに集めて駆除した。そのウニを入れるための蔵がそばにあったのでニラクラなんです。そして、この祭りは、ウニを鎮魂するために始まったとも言われています。

災害復興の視点で、他に印象に残っている場所などはありますか。

3.11以降、私が主に活動したのは、宮城県の女川町です。そこには全部で17の漁村があるのですが、被災半年後にすべて回りました。その時に印象的だったのは、町並みは津波に飲まれてしまっているのに、神社と墓地は浸かっていなかったことです。つまり氏神様や先祖については、先人たちの知識と知恵を持って、ちゃんと残している。これは東日本大震災を通して、女川町で学ばせていただいたことだと思います。

農村と漁村では民話にも違いがあるのですが、先生の認識でもそうでしょうか。

漁村の立地によってコミュニティの質や風土が異なるということは同感です。もう一つは漁法によって異なることも感じています。定置網漁であれば共同体意識が強く、祭の仕組みの在り方も、それに沿った印象があります。一方、一本釣りの漁師町の墓地に行くと、墓石が独立して建っていたりするんです。それも特徴的だなぁと思います。

活動や研究に民話はどんな影響を及ぼしていますか。

民話を翻訳しながら、町づくりに取り組んでいるという感じかもしれません。一度民話を翻訳することで、町並みや古民家をリノベーションしていくときの理由付けになったりします。例えば、町をリノベーションしていくときに、その場所に息づいてきた物語を歴史的背景と捉え、町づくりに活かしていくわけです。これを「文脈を紡いでいく」と僕達は呼んでいます。このような手法を取ろうとする時、民話は非常に大きな手がかりになると思います。歴史と直接的な学びを得る瞬間もあったりするので、民話と町づくりはとても親和性があると思っています。

まとめ

民話と町づくり、一見関連性のないものに聞こえるが、実は近しいものであったということが下田先生のお話からわかってくる。民話を翻訳することで、その地域の文化やその成り立ちをひもとき、建築や町づくりに役立たせる。さらに民話の教訓を基に、災害後を想定した事前復興計画を策定しておく。民話などの地域文化は今でも実際の生活に役に立っているということが再認識できた。

2023年2月21日公開、2024年3月19日再掲載
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